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皆様のご負担を事前に軽減するため(笑)

前回の記事の自分コメントで「本筋とは全く関係ない冒頭の胤国成立のお話を書いてるのがすごく楽しくなっています」と書きましたが。
更に「興味がない方は思いっきり読み飛ばしちゃってください」とも書きましたが。

その全くもって内容に関係ない冒頭の駄文をここに特別大公開っ!!エロ成分全くナッシングっ!!
もし頒布版を手に取って頂けましたら、更に読み飛ばし必至でございますっ!!

あと雑感。この作品の構想練りはもうずいぶん前にやっていたのですが、
元々の発端がケーブルテレビでやってた中国か何かの武侠モノでして。だから舞台がそちらっぽい。
ところが構想を続けてる時「これを作品にする場合、背景とかの素材が少なくね?」とか気づき。
そんで、その時は欧州風な舞台に変更する事も考えに入れておりました……その時は。
それをついさっき思い出しました。ああっ。
なので、今回はこのまま突っ走りますが、いずれ制作するつもりの完全版的な作品では急に設定が欧州風になってるかも。
その時は「ああこいつ、素材集めるのを投げたんだな」と冷笑しながらお許しいただければ……。

ではでは、以下冒頭の「胤建国30余年の歴史」という名の駄文をばっ!
↓↓↓↓

 その国、胤国のある場所はけして豊かな土地ではない。北方には険しい山々が連なっており、その裾野には深々とした針葉樹林がひたすら広がっている。山から湧き出た水が森を抜け、やがて流れの早い川となる。森とその川との狭間に、僅かな平地があるのみ。
 その小さき土地に人々は身を寄せ合って生きてきた。山の向こう側には蛮族。砂漠を隔てた遥か川下には豊かな強国 樟。
 樟国の王族たちに命ぜられ、ただひたすら木を育て、切り出し、川を下り売り、ささやかな対価を得て戻る。たまに蛮族にそれを奪われる。この地方に住む者たちは、そんな暮らしを数100年、数1000年と続けてきたに違いない。

 その営みが大きく変わったのは、30年ほど前。それはまさに、英雄譚と呼ぶにふさわしい出来事だった。

 前年、この地方を山を越え蛮族が襲い、人々の蓄えと幾人かの女を奪って引き上げていった。人々は歯噛みしつつも、ある意味達観して残った蓄えを分け合い何とか厳しい冬を越した。
 しかし年が開け数ヶ月が経った頃、樟国の使者が訪れる。「第6王女の屋敷造営のために、いつもより質の良い材木を多めに寄越せ」と。更に「質がよくなければ、代金は払わぬ」とまで告げた。
 無論人々は反発した。美しい木はすぐに用意できるものではない、余裕があれば皆が力を合わせ森の奥から切り出せるが、前年の蛮族襲撃のためそんな余力はない、と。
 使者は話を最後まで聞かず「ならば軍隊を差し向け森を奪うまで」と言い放った。そして「樵風情が」と明らかな侮蔑の態度で国へと引き上げていった。
 人々は慌て、恐れ、そして神に祈った。こちらが木が出せぬ以上、樟国が軍を差し向けて来る事は間違いない。そしてこちらには、それに対抗する術など皆無だった。
 神に祈ったのは解決策を求めてではない。自らの成仏を願っただけなのだ。
 しかしそこに、一人の男がいた。皆が諦めを口にする中、彼は一人、森の中の自らの住処でひたすら古い書物を読み耽った。
 彼の名は輅(ルウ)。樵たちの若きリーダーであった。体頑健で頭も良く、自ら切り出した材木を樟国に売りに行く際の交渉役も担っている。ただこの危機に至るまではただの若い樵に過ぎなかった。
 樟国との交商の中で彼は、件の王女屋敷造営の事情を知っていた。そもそも王女は6歳であり、要は彼女の後ろ盾になろうとする貴族たちの権力争い。その貴族が独断で発案し、更には自分の軍隊をも動かそうとしていたのだ。
 ルウは長老たちを説得し、自分は志を同じくする者たちとなにやら森に篭る。やがて使者が再びやって来る。すぐ後ろには、この土地を蹂躙するための軍船が川を遡って来ていた。迎える長老たちはただただ言葉を濁すしかない。
 今にも攻撃命令を下そうと憤る使者たちの前に、ルウは現れる。改めて返答を迫る使者たちにルウは言い放つ。「すでに材木は樟国へと送った」と。
 乾燥した風が迫る時期。軍隊は砂漠移動を避け船団を仕立てる。その船団に向けて、急流に任せて『固い材木を』、『大量に』、『送った』のだ。
 しばらくして混乱した後方の様子が使者たちに伝わる。船団は壊滅、僅かに残った軍勢も国へと退いていく。ルウはもうひとつ手を打っていた。先んじて樟に送っていた者がその機で帰って来る。「屋敷造営は、そもそも王の許可を受けていない」という知らせを持って。
 使者たちは青ざめる。やがてルウは「事実確認までご滞在頂きたい」と使者たちに告げた。事実上の拘束であり、宣戦布告でもあった。
 ルウは交渉役の人間を樟国に派遣した上で、自らは戦争の準備に入った。いや、すでに入っていた。若い者たちは仕事道具の斧を武器に変え、鍛えた肉体をやがて来る戦闘へと向けた。だが、万全ではない。
 上流に位置している以上、命がけで守れば川の方面はなんとか防ぎ切れる。しかし、樟国が気候を無視して砂漠地帯を大軍で押し立てて来た場合、そちらに向ける手勢がいないのだ。
 手を上げる者が2人いた。ルウの息子と娘、伽(クイ)と倫(リュイン)である。16と15の幼き勇士は、同じような年齢の友たちと共に、覚悟を持って砂漠へと潜んだ。
 ついに樟は、川と砂漠両面作戦でこの土地に押し寄せて来た。無論正規の軍ではなく例の貴族配下の軍勢であったが、その数は森の民など十分に蹂躙できるものだった。
 僅かながら希望は残る。斥候の知らせによると、敵は川を遡上する船団と砂漠を横断する兵団とに分けていた。しかしルウの見立てどおりだったとしても、それは「両方面で死ぬ気になって勝たねばならない」という現実が露わになったというだけだ。
 ルウの率いる守備本隊は、切り出した材木で幾箇所にも堰を設け軍船の侵入を防ぐ。上流域のため岸は急峻で、敵軍とて上陸はままならなかった。船団と睨み合いながら、ルウは心ならずも神に祈る。問題は、砂漠戦なのだ。
 そもそもルウが川方面で指揮を執ったのは、砂漠への備えが弱いと見せかけるための詭計であった。砂漠では息子と娘が率いる幼き決死隊が、粗末な武器を携えて砂に埋もれ息を殺し身を潜めて敵を待っていた。敵を深く引き入れ、陣形が伸び切った所で指揮官たちを1人1殺する、過酷で残酷な守備作戦。
 数日の後。ルウは敵軍船の異変を見て取った。斥候の知らせでは、砂漠方面の将官たちが数人討ち取られた事との報告に動揺が広がっているらしい、と。子供たちは、よくやっている。しかし……彼らもまた暗殺を果たしたあと、無残に命を散らしているのだ。
 ルウは日が経つにつれ逡巡する。未来ある子たちの命と引き換えにしてまで、この土地を守る事に意味があるのかと。周りには見せなかったが、ルウは自ら白旗を準備していた。子供たちが死に絶えるまでに降伏し、自らは自刃する覚悟を持っていた。そして、その時はもう間近と思えていた。
 奇跡のような吉報が届いたのは、その次の朝だった。樟国へ派遣していた交渉役が、王の停戦の触れを持って帰還したのだ。下らぬ話だが、当事者である6歳の第6王女が「あらそいはやめて」と王に進言したからだそうだ。
 軍船はしぶしぶ引き上げていく。ルウはそれを見送りながら、しかし漫然と喜びに浸っていられなかった。同志たちに見せられないほど惨めに泣き叫びながら、砂漠へと向かったのだ。いや、同志たちもまた、同じ気持ちでルウを追った。彼らもまた父親だったのだ。
 子供たちは死に絶えてはいなかった。だか、死に絶える寸前だった。クイは敵将を屠った直後、雑兵たちに群がられ切り刻まれ、焼かれ、やがて砂と同化したという。リュインはその光景を見て取り乱し、兄と共に逝こうと自刃を図ったが、兄の親友である笙(シェン)に押し留められ救われた。
 リュインは気を取り直し、やがて兄に代わって指揮を執り、残った者たちの救いとなった。クイがただ一人非情に殺されたのではない。死んだ者全てが、同じような死に様だった。リュインが生きていなければ、地獄であったに違いない。
 ルウたちが憔悴しきった瞳で砂漠を見つめる中、僅かな生存者たちと共に、シェンに肩を抱かれながら、リュインは帰還した。15の幼い娘が、傷だらけの乳房さえ露わにして大人たちの前に帰ってきたのだ。
 その後の展開は、ルウたちが思っていた以上に理想的に進んだ。軍を派遣してきた貴族は、幼い王女の威光を利用したということであっさりと没落した。そしてその知らせと共に、ルウは国王となった。樟国国王が、ルウをその土地を治める王に任じたのだ。
 樟国にしてみれば、川の上流に住む森の人々を「敵に回すと少し厄介な者たち」と認識し、形式上の自治を与えたに過ぎない。しかし一応金無垢の王印と共にもたらされたその勅令は、再び些細な争いも起こしたくないという樟国の心が見て取れた。
 ルウは、土地の人たちに推され、森の中にささやかな祭壇を作り、質素極まりない戴冠式を行った。戦で死んでいった同志や子供たちの鎮魂を同時に祈りながら。
 国の名は「胤」。子供たちが死んでいった事を悔やみ、血筋や子孫の意味を持つ字が選ばれた。人々、いや胤の国民たちは、喜びと共に大粒の涙を流し合った。
 国王となっても、ルウのすべき事は変わらなかった。木々を育て、切り出し、それを樟へと売った。少し変わったのは、蛮族に対しての意気込みだった。
 樟の軍勢から土地を守ったという一体感は、備えに対しての重要さを増大させていた。ルウは軍を正式に立ち上げ、自ら率いた。そして実働部隊の長として、クイの友であり愛娘リュインを救った若きシェンを据えた。
 シェンは良く鍛え、良く戦った。軍備には樟国との交商で得た利のほんの僅かしか割く事ができなかったが、軍にもっとも大切なものは気概と統率であると断じ、蛮族へと向かった。樟国軍よりもずっとずっと統率が取れていない蛮族を追い返す事も、少なくなくなっていく。
 国となった事で、内政もまた発展した。国王ルウは古くからの合議制を進め、長老たちだけでなく若い者たちの言も採った。若い者たちの先頭には、常にリュインがいた。リュインは直言し、実行した。国民もまた、それに従った。老いも若きも、この美しい少女が命を賭して国を守った事を知っているからだ。
 遡れば、リュインを軍の長にする案もあった。あの傷つきながらも生還した姿は、国民の眼に焼きついていたからだ。しかしルウも、そしてなによりルウの妻でありリュインの母である女(名は残っていない)は頑なに反対した。彼女は言った。「リュインには、この国の母になってもらわなければならぬ」と。
 その女は病弱で、再び子を産む事は出来なくなっていた。そして、長子であり国を継ぐべき唯一の人物であったクイは、戦場で命果てた。だから、リュインは戦で死ぬ事はならず、戦にせぬために国を育てていかねばならなかったのだ。
 しばらくの時を経て、胤は僅かながら栄えていった。暗く密やかに生きてきた者たちが、国を作る事に情熱を持ち始めた結果であった。樟は「余裕ある支配者」の姿勢を崩さず交商を活発に行ってきたし、軍もまた少数ながらますます精兵となっていった。
 ルウが若い者たちへの償いとして学問を奨励し、学んだ若者たちは更に高みを目指し国のためになろうと樟国へと留学した。そこで飽き足らず、更に西方へと冒険者のごとく進む者も現れた。
 妻が病で死に、ルウが悲しみを振り払うように更に国政に打ち込んだ頃には、西方の国より使者や難民を受け入れる余裕も持てていた。娘のリュインは20となり国事を為し、シェンは21で軍全てを任されていた。
 ルウは、そんな時あっさりと倒れた。ある夜、昔を思い出すように森で木を切っていた時、斧の刃が欠け傷を負い、それが元で血の病にかかってしまったのだ。進行は、嫌に早かった。
 王宮にさえ戻る事もできず、森の中の小屋に急いで呼ばれたリュイン、そしてシェンの前で「お前たちに国を託す」と告げ、建国の王である輅(ルウ)は即位後4年、妻の死から1年でこの世を去った。
 国中が動揺する。まだ国は幼い。富んできたとはいえ、いや富んできたからこそ樟国や蛮族が再び国を狙おうとするかもしれない。次の国王が、すぐに必要だった。
 はじめはリュインを推す声が強かった。行政は実質的にリュインが行っていたからだ。しかしこの時、戦時には少女剣士として振舞った王の娘は、すぐに自ら断った。「私は、シェンの妻となりたい」と。
 不思議なほど、それは波風を立てなかった。まだあの戦の記憶も生々しく、解放の日にリュインを守っていたシェンの姿は国民の心に残っていた。そしてなにより現実的に、多分、リュインはシェンを愛していたのだ。
 2代国王の戴冠式は、すんなりと行われた。建国王が未来を祈った森の祭壇で、シェンは更に若き王となった。長老たちの言を採り、少し格式的な儀式を取り入れながら。
 鳳凰の化身として雉を森に放ち、それを王となる者が弓で射る。それは原始的でささやかな儀式ではあったが、直系ではない若き男が王となるためにはこの先必要な通過儀礼であった。
 ともかくも、シェンは王となった。これまで以上に政や軍事に励み、就任時は国民に囁かれていた不安も、次第に振り払っていった。
 そして王の妻となったリュインは、政治の場からきっぱりと手を引き、まさに彼女の母の望みどおり「国を育てる者」となった。美しい美貌はそのままに、幼き者たちを愛し、国内外の傷ついた者たちを救った。
 西方の難民たちはリュインの建てた屋敷へと住まい、衣食はおろか学問まで施してもらった。この屋敷で育った者たちは全て、リュインを敬いそして胤国を愛した。
 やがて、国民の間から「薔薇の国母」と呼ばれ始めたリュインの体躯が「少女」のそれではなく「女」のそれになった頃。彼女は、子を宿した。おそらくではあるが、この国の3代目の王となる子を。
 その冬の寒い日に生まれた男子は、汞(ホング)と名づけられた。シェンは妻と子を抱き、感涙に咽んだ。開けた朝は、国中が新しい王の子を祝福した。また更に素晴らしい未来が、胤国に待っている気がした。
 ホングは大切に育てられ、やがて聡明かつ丈夫な男子へと成長する。やがて彼は父に倣い、軍へと入る。指導者としてだけではなく、純粋に戦士として成したいという憧れもあった。
 その頃にはますます国栄え、政治も成熟し始めていた。そもそも胤は明確な敵国はない。樟国との経済的結びつきはますます強くなり、軍備は山の蛮族にのみ向けられていた。樟の進んだ学問を学んだ者たちは、帰国し国政や治国に情熱を燃やしている。
 母性的な丸みを帯びたもののまだまだ美しいリュインは、その後娘を3人産んだ。男子には恵まれなかったが、そのうち病死した者以外の2人は、樟国の王族に嫁いだ。経済だけでなく文化的にも政治的にも、大国樟と関係は深まっていく。
 ホングが軍の中で剣の腕を鍛え、教師より「達人の如き」と評されるほどになった頃。齢16の頃。彼は父と母の勧めにより、結婚する。決定的だったのは、その妻が樟国現国王の娘だった事だ。
 衷(チュオン)という玉のように美しいその娘は、樟国国王の14歳の次女であった。国民も、もちろん王であるシェンもリュインも、樟国と共に手を携える平和を望んでいた。この婚儀はそれを現実にする物だった。
 チュオンをホングは愛で、愛し、そして守った。父と母がそうであったように、だ。チュオンも、無垢な愛をすぐにホングに向けた。若く幼いその愛は、ある意味理想的にその日を迎えた。
 婚儀から1年後。チュオンは子を産んだ。母に良く似た瞳の大きな肌の白いその娘は眸(モウ)と名づけられた。15の母もまた、それが成す事の全てという意気込みで、モウを育てた。
 ホングもますます軍事や剣術に精進し、チュオンも義母リュインに倣い自分の子だけではなく福祉や慈善に力を入れた。まだ女子しか生まれていなかったが、この健康的で若い夫婦にはそれは杞憂と思われた。
 王であるシェンの治世は、円熟期に突入していった。国事は威厳を持って自ら行い、実質的な内政は熟成のため他の者たちに託した。樟国先進学問を受けた者の中から、王の信頼も厚い現宰相の范(ファン)ら数人の有能な官吏も生まれた。
 リュインも王を助けた。優しく民たちに接する姿は、あの少女時代の戦士姿を知る者も知らぬ者も、同じように尊敬をされる「薔薇の国母」そのものとなっていた。
 本当に、平和だったのだ。蛮族は相変わらず山に出没するが、胤の戦力増強に恐れをなし、近頃は穏健派と急進派で内部分裂が起きる始末らしい。もちろんそれでも、軍は備えを怠らない。
 モウが赤子を脱し、赤い民族服が似合う可愛らしい少女に成長する頃。シュンがおそらく流行り病で床に伏せ始める頃。それでも、胤国は平和であり、今後も平和であり続けるはずだった。
 先王が森の中の小屋でそうしたように、シュンは妻や子や孫、そして宰相を王宮寝室のそばに呼んで、後事を託した。やがて王はゆっくりと目を閉じ、そこにいたほとんどの者が涙を流したが、それは国の終わりではないのだ。
 すぐに翌日リュインが気丈に王の死を国民に告げ、しかし悲しんではならぬと呼びかける。すぐに父のように聡明で精強で凛々しい息子が、王を継ぐためにそこにいるのだ。
 宰相であるファンも、数日間の服喪の間は軍も政も自分が管理し混乱を抑えるとの法を発布した。リュインがそれを認め、悲しみの中のホングも、ファンと共にあの森の中の祭壇を整備し始めた。

 全ては、何事もなく行われるはずだった。国母リュインも、次代の国母たるチュオンも、その無垢な娘モウも、もちろんすぐに王となるはずのホングも、胤国の平和な未来のために静かにその日を待っていただけだった。

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